ダラダラと続いた京都・滋賀旅行記も、ようやく最終回。
11月16日、最終日で本来の目的ジェフの試合の日。
しかし試合は負けたし、その前にもりだくさんに歩いたため、何が目的だったかよくわからなくなってしまいました…
もりだくさんの仕上げに、試合の前に行けそうなところ、と調べたら、ちょうど京都国立博物館で「佐竹本三十六歌仙絵と王朝の美」展をやっていることを蘇我夫が見つけ、NHKなどで特番を放送していたので予習もバッチリ。
ホテルの朝食ビュッフェは欲張らないでそこそこにして、早めに博物館へ出かける予定だったけど、結局食い意地に負けて、ちょっと出遅れ。
京都駅から三十三間堂行きのバスに乗ろうとしたのですが、もう大変な混みよう。京都市街の路線バスは昔から住民も観光客も利用するので混んでいましたが、最近はさらにそれがすごいことに。
あまりの行列に、早くも戦意喪失。
歩いて行くとこにしました。
どこにでもあるような街並みを歩き、途中マガモさん夫婦に出会い
(用水路かしら、あまりきれいな水ではなかった)
大型観光バスが昔のイングランドPL下位チームみたいにどんどんどんと、並ぶ(またわかりにくい)三十三間堂の横を通って京都国立博物館に着くと、こちらもかなりの行列。
待つこと20分くらい。
これじゃ見えないかも、と心配しましたが、上手に入場者を制限しているらしく、それほど見辛くはなく、どの展覧会でもそうだけど入り口付近の混雑を超えれば、だいたいゆっくり鑑賞できました。
で、佐竹本三十六歌仙絵。
三十六人の優れた和歌の詠み人「歌仙」を描く、鎌倉時代の名品《佐竹本三十六歌仙絵》。かつて二巻の絵巻物だったこの作品は、大正8年(1919)に一歌仙ずつに分割され、別々の所有者のもとに秘蔵されました。2019年は《佐竹本三十六歌仙絵》が分割されてからちょうど100年を迎える年です。これを機に、展覧会としては過去最大の規模で、離れ離れとなった断簡37件(※)のうち31件が一堂に会します。
藤原公任(966年 – 1041年)は11世紀初め頃に私撰集『三十六人撰』を撰した。これは、『万葉集』の時代から、平安時代中期までの歌人36名の秀歌を集めて歌合形式としたもので、これら36名を後に「三十六歌仙」と称するようになった。本絵巻はこの三十六歌仙の肖像画にその代表歌と略歴を添え、巻物形式としたものである。上巻・下巻ともに18名の歌人を収録する。下巻巻頭には和歌の神とされる住吉明神(住吉大社)の景観が描かれた図があり、上巻巻頭にも、現在は失われているが、玉津姫明神または下鴨神社の景観図があったものと推定されている。(wikipediaに助けてもらいました)
で、佐竹本の断簡31件のうち、展示は多少の入れ替えがあるので、一度に全部は見られません。31件見たかったら、会期中に4回くらい通わないとダメ。
わたしも平兼盛とか絶世の美女小野小町の断簡は見られなかった。小野小町は、絶世の美女だけに、思わせぶりに後ろ姿で描かれているそうだけど。
それでも、他の京博や東京国立博物館や各地の美術館寺院所蔵の作品も加わって、たいそう見応えがありました。
最後の方は、試合の時間が気になって、ちょっと飛ばしたくらい…
徳川美術館の伝土佐経隆筆「西行物語絵巻」とか国立博物館の伝土佐光隆筆「住吉物語絵巻」とか、もっと時間をかけて見たかった。
でも佐竹本の絵は、その前にゆっくり見ました。
もともと絵巻で、掛け軸になるくらいだから小さな絵ですが、描写の繊細さ、色彩の美しさ、歌との調和、どれもたいそう素晴らしい。
これは小大君。
展示されてた絵の中では一番は華やかなもの。
灰色に見える衣装の部分は銀が施されていたそうで、もとはさらに艶やかだったでしょう。
それぞれに凝った意匠で表装されていて、所持者の茶道具とともに展示されていたのも面白く見ました。昔の大企業人は旦那衆らしさというか、その文化度の高さが、この絵巻の散逸を防いだわけでした。茶室ではなく、こうやって美術品としてまとまって見ることができるのは、展示する環境や美術品修復や研究が進んだおかげでもあります。
久しぶりに和歌の世界にも触れて、すっかり◯゛カさんになった頭も多少刺激されました。
それで、三十六歌仙の歌を全部載せようと思うけど、わずかな方が訪れるばかりのこのブログ、迷惑を被る人もいなかろうと思うので、備忘録として置いとこう。
その前に京都国立博物館。
とりあえずここで終わりにして、歌は次の記事にしよう。
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